2022年10月05日

懐かしの国鉄色を追いかけた日 その8

皆様こんにちは。柳井グランドホテル鉄道プラン担当の松前篤始です。今回も前回に引き続き、485系ラストランを追いかけた日のお話です。

仙台駅に程近い太子堂(たいしどう)駅で下車した私は、撮影の練習がてら仙台近郊の普通列車を撮影しました。遭遇した701系・SAT721系はどちらも仙台では当たり前の存在ですが、前回お話しした通り、JRに移行しても旧型車を使うしかなかった状況を一気に打開した功労者でもあります。

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ちなみに701系(左)と、SAT721系の本家本元であるE721系(右)は併結運転を行うこともあります。701系の垂直で平たい車体と、E721系の上部に向かって車幅が増していく幅広車体の対比は他ではなかなか見られないため、ファン目線からすると面白い光景です。



普通列車2本を見送った後、本命の485系が姿を現しました。これまでとは違い行程に余裕があるのか、ゆっくりとしたスピードで通過していきました。

都会から郊外を通り抜けて地方へ、という行程が多い特急列車はどうしても写真映えする風光明媚な場所で記録したくなります。この日乗車してきた磐越西線も、かつての大動脈東北本線も、そうした撮影名所は多く点在しています。

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一方で都会らしい景観を往く列車を記録することも趣味的には重要です。
例えば半世紀前から2000年代初頭まで走っていた特急「はつかり」は、当初上野から東北本線を北上して青森駅に至り、青函連絡船に接続して北海道への最速アクセスの一翼を担っていました。

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使用車両はもちろん485系。停車駅もかなり絞られ、県の代表駅以外はすべて通過。現在の東北新幹線「はやぶさ」に近い性質を持った列車でした。

しかし1982年に東北新幹線が岩手県盛岡駅まで開業すると、東北本線のエースは一転して新幹線連絡特急(盛岡〜青森間運行)へと姿を変え、東京に姿を見せることはなくなりました。つまり「はつかり」の名が消えることはありませんでしたが、見られる場所は限られてしまったということです。

こうした移り変わりは日本全国至る所で起こっていることですが、今見ている景色もいずれ消えると思えば、どこを走っていようと記録することは大切です。この太子堂駅は特急電車の撮影地という印象はないかもしれませんが、「都会」という旅の始まり・終わりを象徴する雰囲気を表現するには相応しい場所だと私は思います。

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太子堂駅で撮影を終えた私は仙台駅に戻り、東北新幹線で埼玉の自宅に戻りました。この日は関東から南東北までカバーするフリーきっぷを使っていたため、宿を予約しても新幹線特急券を購入しても金額は大差なかったように記憶しています。

2日目も再び南東北3県で485系を記録します。次回もよろしくお願いいたします。

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posted by yg at 16:20 | 日記